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二死満塁(にしまんるい)バンド

二死満塁(にしまんるい)は日本のどパンクバンドである。海外で活動する時には
Two Down Full Base(ツーダンフルベース)名義で行うが2017年現在、海外での活動はない。
2004年にVoの知念夏樹を中心に結成され、その後、メンバー交代や活動休止を経て
2015年より、現在の四人体制となる。

最近の二死満塁

メンバー
知念夏樹(ちねん なつき)
担当 ギター ヴォーカル
全ての楽曲の作詞と運転やスタジオの予約を行う
Youtubeで活動する際には『キャプテン』と言う芸名を使う。
初代メンバー

にっしぃ(にっしぃ)
担当 ギター コーラス
2015年加入 本名その他、個人情報の管理に厳しく非公開。

今井友一(いまい ゆういち)
担当 ベース コーラス
Youtubeで活動する際には『番長』と言う芸名を使う。
2006年加入

竹下公久(たけした きみひさ) 
担当 ドラム コーラス
初代メンバー

バンドロゴ
  

来歴

1994年
知念夏樹が高校を辞め、地元横浜、東京の町田などで、弾き語りのライブ活動を開始。
初ライブは16歳、ワンマンを2回やった後、町田プレイハウスでレギュラーとして出演。
その頃、出演したあるイベントで怪しい業界人から「10年後が楽しみですね。」と声を
かけられる。(この後を読むと、10年後、どうなったかがわかる。)

1995年
10代の頃は弾き語りでのイベント出演や渋谷アピアでのレギュラー出演と精力的に活動し
将来はメジャーで活躍する事が既定路線と自惚れていた。

1997年 
友達の友達の友達と言う関係で知念夏樹と今井友一が知り合う。
二人は同じ年の為、この時19歳だった。
お互いの第一印象は不良が抜けていなかった為、悪かったと後に判明。
今井がやっているバンドに知念がベースで参加。 横浜FADで1回だけライブをやる。
その後、バンドに興味をもった知念が今井と意気投合し、知念がヴォーカル、今井がギターで
THEE FRENZYSを結成。ワンマンライブを2回やる。渋谷屋根裏のオーディションを受け、落ちる。
そして、解散。

2000年
それぞれが活動したりしなかったりであったが、今井がパンクバンドを作る為、知念をヴォーカルに
誘う。ドラムにはバイト先で知り合った竹下公久を誘い、この時、知念と竹下が知り合う。
知念、今井、竹下の3人でパンクバンド THE TRASH を結成。(ベースレスの3ピース)
下北沢屋根裏のオーディションを受けて、落ちる。この時、30分のライブをやって、1時間の説教を
受けると言う挫折を味わう。
そんな中、今井が「俺、ベース弾きてぇ」と言う名言を朝の7時に突然、知念にメールする。
会社に行かなければいけない知念は迷惑そうに「いいんじゃない」とだけ返信し、今井がギターリス
からベーシストになるが、この時は音楽業界に何の影響も与えなかった。
※この後を読むと、その後も影響がない事が分かる。

  
THE TRASH時代
      
横浜FADや渋谷ギグアンティックなどで活動し、初の自主企画「くずの暴動」を新横浜で開催。
THE TRASHの活動に手応えを感じ始めた知念と今井であったが、竹下は仕事との両立に疲れ
脱退。

2001年
後に二死満塁の初代ギタリストになるN(仮名)とドラムにT(仮名)がTHE TRASHに加入。
パンク色を強め、活動を続ける。音源制作、全国ツアーを行う。
ツアー中の渋谷デセオでのライブ前にドラムT(仮名)が遅刻をしてきたメンバーに腹を立て
暴力をふるう。本番前にメンバーが怪我をする事態になるが、ライブは実行。
客として来る予定であった竹下に連絡をし、急遽、ドラムを叩いてもらいライブは行われた。
その後のツアーも竹下が成り行きで再加入。
知念はそのライブを境に「パンクって何だろう?」と悩み始める。
      
自主企画「くずの暴動」を横浜FADで開催。取材を受けたりする。
企画もやり順調に見えたが、知念は「パンクって何だろう?」と悶々とする。

渋谷サイクロンのオーディションを受ける。「新宿アンチノックに行った方がいい」とアドバイスを
受ける。知念は「パンクって何だろう?」と思い、脱退を決意。
ヴォーカルの脱退によりバンドは解散。
渋谷ギグアンティックでの「くずの暴動」がTHE TRASHの解散ライブとなる。

2002年
知念は弾き語りでの活動を本格化し、上馬ガソリンアレイ下北沢ロフトなどアコースティック
ライブハウスの老舗を拠点に活動。しかし、中々、売れない。
その頃、今井と竹下は女の子をヴォーカルにしたバンドで活動。
それぞれ交流はあるものの、別の道を歩み始める。

2003年
知念は売れたいと思い、フルアルバムの制作に踏み切る。ドラムに竹下を誘いギターにN(仮名)を
誘う。二死満塁の原型となる「ちねんなつきwithツーダンフルベース」名義でアルバムの制作、そして
下北沢ロフトでライブを行う。
 
2004年
一人で活動する事に疲れていた知念は、竹下とN(仮名)を呼び出し、二死満塁の結成を
呼びかける。ベースに旧知のT(仮名)※先ほどのT(仮名)とは別人、を加え、二死満塁が結成される。
結成後、数週間で渋谷サイクロンのオーディションを受ける。
スタッフより「何で、オーディション受けんたんスか?受けなくてもいいのに。」と初めて褒められる。

その頃の知念夏樹

2005年
二死満塁の初音源「通称黒盤」を発売。渋谷サイクロンでレコ発開催。

レコ発後にベースのT(仮名)が脱退。知念が「俺、ベース弾くわ」と言いベースヴォーカルになる。
3ピースになり、精力的に活動するも、中々、売れない。

その頃の二死満塁(真ん中はギターのN(仮名)。売れないオーラが悲しい。)

2006年
年末に飲んでいた際に今井が「俺、二死満塁に入りてえ」と言い、二死満塁に加入。
THE TRASH時代と同じメンバーになる。

その頃の今井友一

2007年
年明けの渋谷ギグアンティックのライブをもって無期限の活動休止。
今井は別のバンドで活動。知念は音楽活動を辞め、石川さゆりの追っかけとなる。
竹下は仕事に励む。

その頃の石川さゆり

2008年~2012年 心の中で活動。

その頃の知念夏樹

2012年
SNSの発達により、知念が昔の二死満塁の映像や曲をFacebookyoutubeにあげる。
それを見た、今井、竹下、N(仮名)から知念に連絡が来る。
新橋で久し振りに四人が揃い、酒を飲む。(新橋会談)
この時、二死満塁の活動再開が話題となるが、知念は「今は出来ない。けど、準備はしておこう。」
とだけ、話し、友達付き合いは再開する。

2013年
Youtubeを観たという企業から連絡を受け、知念が挨拶に行く。
ニコニコ生放送のライブ配信の依頼を受け、知念は二死満塁の復活を決意。
しかし、他メンバーは他バンドでの活動がある為、すぐには出来なかった。
知念はスーツ姿で二死満塁の現状を説明したが、「ソロでいかがでしょう?」
とオファーを受ける。
その時、知念はギターも持っていない状況だったが、すぐにエレキを2本購入。
静かに準備を始める。他メンバーとの意識の違いに苛立った知念は
「よし、分かった。お前ら全員、辞めろ!今日から俺一人が二死満塁だ!」と
コーネリアス宣言をする。
しかし、今井は「俺は、やりてえ」と言い、竹下は「もっと、話し合いの余地を。」と言い
N(仮名)は脱退した。
先行して、知念がソロでライブ配信を開始。実に6年振りの活動再開であった。

平行して、知念、今井、竹下の3人は二死満塁復活の準備を進める。

2014年
ついに二死満塁が復活。それもライブハウスではなく、ニコ生での配信ライブとなる。

そして、4月にはライブハウスでの復活を果たす。

IB89さんの企画で復活。
10月にはアニマルズ企画にも出演。


2015年
今後の二死満塁の方向性を知念と今井で相談。
youtuberになろうと決意し、二死満塁TVで「どパンク人生相談」を始める。


バンドもしっかりやろうと考え、下北沢のライブハウスに挨拶回りを決行。
その時、偶然に知念が尊敬するバンドSAのTAISEIさんとNAOKIさんに会う。
知念はスーツ姿で「俺、バンドやっているんです」と言うとTAISEIさんは
「絶ってえ、バンドやめんなよ。」と笑顔で何度も握手をしてくれた。
知念はバンドを復活させて良かったと心から思った。
7月にハンサム判治さんとの共演が決まり、知念は本格的にギタリストを探す。
インターネットの募集サイトで、にっしぃが応募をしてくる。
知念が会う為、喫茶店で待ち合わせをしたのだが、知念が「酒、飲めます?」と聞くと
にっしぃは「うん、少しなら」と答え(後に酒豪と判明)場所を居酒屋に移す。
初対面で意気投合し、スタジオに入る約束をする。
スタジオに入る前ににっしぃは曲を全部、覚えてきてくれたので、7月のライブから
加入となる。(初対面から初ライブまで、2回しか音合わせをしていない。)
     
7月2日  下北沢ReG 夢アジト出演 にっしぃ加入
8月15日  下北沢ReG ジュン☆コバフェス 出演 にっしぃ欠席

森純太さんと俺
11月14日 西横浜エル・プエンテ OUT OF BOUNDS企画出演


2016年
活動の速度を加速させ、二死満塁の伝説が続く。
東京TOURの開催、自主企画「失敗は成功のマザーファッカー」開催の決定。

ライブの本数が前半の6月までで前年の3倍増になる。

6月9日に2ndアルバム『どパンク細胞はあります。』
の発売決定!


2ndアルバム『どパンク細胞はあります。』
の発売後、タワーレコード横浜ビブレ店で
インストアライブ。
下北沢ろくでもない夜にてレコ発開催。
CDのセールスが思ったより伸びず
二死満塁はどパンクバンドでの活動に
限界を感じる。
そして、2016年よりどアイドルバンドとしての
活動を開始。嵐の様な、歌って踊れて
バラエティーにもドラマにも出られる
マルチな才能を発揮しようと方針を決める。

2017年より、どパンクバンドに戻る。









続く



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